大判例

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最高裁判所第一小法廷 昭和44年(オ)881号 判決

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人長浜靖の上告理由について。

原審相控訴人松田健治から本件土地上にある本件建物の所有権を譲り受けた上告人が、借地法一〇条により、右土地の所有者である被上告人に対し右建物の買取を請求しうるためには、右松田健治が右建物の譲渡の当時右土地につき被上告人に対抗しうる賃借権を有していたことが必要である。

ところで、上告人の主張によれば、右松田健治は、被上告人が本件土地の所有権を取得する前に、その従前の所有者であつた訴外木村栄次郎からこれを賃借したうえ、その土地上に本件建物を所有し、妻である訴外松田登貴美の名義で所有権保存登記を経由していたものであるから、右松田健治は、昭和四一年法律第九三号による改正前の建物保護に関する法律一条一項により、右建物の譲渡の当時右土地につき被上告人に対抗しうる賃借権を有していたというのである。

しかしながら、右法条により土地の賃借人がその賃借権を第三者に対抗しうるためには、その賃借人が借地上に自己の名義で所有権保存登記等を経由した建物を所有していることが必要であつて、その賃借人が他人の名義で所有権保存登記等を経由した建物を所有しているにすぎない場合には、その賃借権を第三者に対抗することができないものであり、そして、この理はその他人が賃借人の妻であるときでも同様であると解すべきことは、当裁判所昭和三七年(オ)第一八号同四一年四月二七日大法廷判決、民集二〇巻四号八七〇頁の趣旨に照らして明らかである。

してみれば、右松田健治が本件建物の譲渡の当時本件土地につき被上告人に対抗しうる賃借権を有していたということができないことは、上告人の右主張自体において明らかであるから、右松田健治から右建物の所有権を譲り受けた上告人は、借地法一〇条により右土地の所有者である被上告人に対し右建物の買取を請求することができないものといわなければならない。

したがつて、以上と同旨に出た原審の判断は正当であつて、原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。

よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官大隅健一郎、同下田武三の反対意見があるほか、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。

裁判官大隅健一郎の反対意見は、次のとおりである。

本件上告人田中義郎が被上告人に対して本件建物の買取を請求しうるためには、右建物の前所有者である松田健治が、その譲渡の当時、本件土地につき被上告人に対抗しうる賃借権を有していたことを必要とするところ、右松田は、被上告人が右土地の所有権を取得する前に、その従前の所有者からこれを賃借して当該土地上に本件建物を所有していたが、その建物については、同人の妻である訴外松田登貴美の名義で保存登記を経由していたのであるから、当裁判所昭和三七年(オ)第一八号同四一年四月二七日大法廷判決、民集二〇巻四号八七〇頁の趣旨に照らして、松田健治は、昭和四一年法律第九三号による改正前の建物保護に関する法律(以下、建物保護法という。)一条一項に基づき、その賃借権を第三者である被上告人に対抗しえないものというべく、ひいて、同人から本件建物の所有権を譲り受けた上告人田中義郎も、借地法一〇条により、被上告人に対して右建物の買取を請求することはできないとして、本件上告を棄却すべきものとするのが、本判決の多数意見の見解である。しかし、私は、右の昭和四一年四月二七日の大法廷判決の多数意見には賛成することができなく、したがつて、本判決の多数意見にもまた同調することができない。すなわち、本件建物の登記が松田健治の妻登貴美の名義であつても、松田健治は本件土地の賃借権を被上告人に対抗することができたのであり、ひいて、右松田からその建物の所有権を譲り受けた上告人田中義郎の被上告人に対する建物買取請求権も肯定せられるべきであつて、これと反対の見解に立つ原判決は破棄を免れない、というのが私の考えである。

私が昭和四一年四月二七日の大法廷判決の多数意見に賛成しがたい理由は、次のとおりである。

(一) 右の大法廷判決の要旨は、土地の賃借人は、該土地上に自己と氏を同じくしかつ同居する未成年の長男名義で保存登記をした建物を所有していても、その後該土地の所有権を取得した第三者に対し、建物保護法一条一項により、該土地の賃借権をもつて対抗することができないものと解すべきである、というのである。これでわかるとおり、この判決の事案は土地の賃借人がその土地上に同居の長男名義で保存登記をした建物を所有していた場合に関するのに対し、本件では土地の賃借人がその土地上に同居の妻名義で保存登記をした建物を所有していたのであつて、その限りで両者は事案を異にするが、建物保護法一条一項の規定の解釈適用について両者を区別すべき理由のないことは、多言を要しないであろう。

ところで、右の判決における多数意見の基本的な考え方は、建物保護法による登記制度も物権変動の公示方法である一般の登記制度も、その目的および性質において異なるところがないものと解し、借地権の保護の問題を土地取引一般の保護の問題の中に解消させているものであるといえる。多数意見が、土地の賃借人がその賃借権を第三者に対抗することをうるためには、その土地上に自己の名義で登記した建物を有することを要するものと解し、その理由として、(1)他人名義の建物の登記によつては、自己の建物所有権さえ第三者に対抗できないものであるから、かかる登記によつては建物保護法一条一項の保護を受けるに値いしないこと、(2)登記制度は物権変動の公示方法であり、取引上の第三者は登記簿の記載によりその権利者を推知するのが原則であるから、他人名義の登記簿の記載によつては、土地の賃借人が建物の所有者であることを推知するに由なく、かかる場合にまで建物保護法による土地賃借権の対抗力を認めることは、取引上の第三者の利益を害すること、(3)実質上の権利者でない他人名義の登記は、実質上の権利と符合しない無効の登記であり、かつ、更正登記によりその瑕疵を治癒することを許されないものであつて、対抗力を生じえないこと、(4)相続人が地上建物について相続登記をしなくても、建物保護法一条一項の定める対抗力を与えられる旨の大審院判例(昭和一四年(オ)第七八九号同一五年七月一一日判決)は、初めから無効な登記の場合には妥当しないことなどを挙げているのは、まさに右のような考え方に由来するものにほかならない。

しかしながら、建物保護法が、建物の登記をもつて、その建物の存する土地の借地権を第三者に対抗するための要件としている趣旨は、本来は、借地人が単独でその権利の登記をなしうる方法を設けることを狙いとしたのであるが、借地権登記を借地人の単独申請によつてする方法には実効性がないので、結局、建物の登記をもつて借地権の登記に代わる対抗事由として、これにより借地権ないし借地権者およびその家族の居住権の保護をはかろうとするにあるものといえる。その結果、借地上の建物の登記には、建物の所有権の公示と借地権の公示という二つの機能が認められることとなつた。そして、建物保護法は借地権ないし借地権者の居住権の保護を目的とする一種の社会政策的立法であつて、同法による建物登記の借地権公示の機能は、土地取引一般の保護を目的とする公示の原則のわく内でとらえられるべきものではなく、上述のような建物保護法の目的にかんがみ、借地人による土地利用の確保の要請と土地取引における第三者の保護の要請とをいかに調整すべきかの見地においてとらえられなければならない。これによれば、土地の第三取得者に不測の損害を生ぜしめるおそれがないかぎり、借地権者による土地利用の確保の要請を重視して解釈すべきものといわなければならないのである。

(二) このような見地に立つて考えると、極端にいえば、形式上当該地番上に何人の名義にせよ登記された建物があり、かつ、実質的に借地権が存在しておりさえすれば、その借地権に対抗力を認めて差し支えないともいえる。けだし、土地の取引に当たつては、土地取得者は現地を見るのが常であり、その地上に建物の存することはおのずからわかるから、建物の登記簿を見ることにより、その土地に借地権の存在することを推知しうるのであつて、登記ある建物の存する土地であることを知つてこれを取得した者は、借地権を対抗されても不測の損害を被るものとはいえないからである。しかし、そこまで徹底して考えることが建物保護法の規定からみて行きすぎであるとしても、建物の登記が借地権者自身の名義でなくても、少なくとも、これと氏を同じくする同居の家族の名義であるような場合には、同法一条一項にいわゆる登記がある場合にあたり、借地権に対抗力を認めるのが相当であるといわざるをえない。前述のとおり、土地の取引をしようとする者は現地を見るのが常態であつて、そこに建物の存することを知れば、建物の登記簿を見たうえでその土地の権利関係を調査すべきが当然であり、しかも、右のような場合には登記名義人と借地権者との身分関係を知ることはきわめて容易であるから、叙上のように解しても、土地の取引に格別の障害をもたらすものとはいえないからである。

(三) 前記大法廷判決の多数意見は、当該事案におけるように、実質上の権利者でない長男名義の登記は、実質上の権利と符合しない無効の登記であつて対抗力を生ぜず、かつ、更正登記によりその瑕疵を治癒することも許されないものであるから、かかる登記をもつて、建物保護法により、自己の賃借権をその土地の取得者に対抗することはできないものとしている。しかし、わが国の家族関係においては、とくに家財については、夫の物を妻の名義とし、父の物を子の名義とするようなことは、日常しばしば身受けるところであつて、このような場合に直ちに虚偽の登記であるとか偽造文書による登記であるとして無効と解することは、社会一般の通念に合わないものといわざるをえない。のみならず、借地上の建物の登記には、前述のとおり、建物所有権の公示と借地権の公示との二つの機能が認められるが、その登記の効力はこの両者を通じて一律に解されなければならないものではなく、それが建物所有権の関係では対抗要件としての効力を有しないときでも、借地権の関係では対抗要件として機能するものと解してなんら差し支えないのである。右の二つの機能は、それぞれ次元を異にする法域において異なる目的をもつて認められたものだからである。前記大法廷判決の多数意見のように、自己の建物の所有権さえ第三者に対抗しえないものが、建物保護法一条一項による保護を受けるに値いする理由がないと考えるのは、この点の理解を欠くものというほかない。建物登記の瑕疵が更正登記により治癒することを許されないものであるとしても、右と同様に考えるべきものであると思う。

(四) 大審院の判例は、一方で、相続人も相続登記をしなければ所有権の取得を第三者に対抗することができないものとしながら、他方で、建物保護法一条一項の対抗力に関するかぎり、相続人が地上建物について相続登記をしなくとも対抗力を認めることができ、そのように解することが同法の法意にそうゆえんであるとしている。これは、意識すると否とにかかわらず、借地上の建物の登記における建物所有権公示の機能と借地権公示の機能とを区別し、後者の関係では、借地権者がその土地上に他人名義で登記した建物を有する場合でも、建物保護法一条一項により対抗力を認められる場合のあることを判示している点で、前述したところからみて正当な考え方を含むものといえる。また、当裁判所大法廷判決(昭和三六年(オ)第一一〇四号同四〇年三月一七日判決、民集一九巻二号四五三頁、なお、昭和四四年(オ)第一〇三〇号同四五年三月二六日第一小法廷判決、裁判集民事九八号五三三頁参照)は、借地権の設定された土地の上の建物についてなされた登記が、錯誤または遺漏により、建物所在地番の表示において実際と多少相異していても、建物の種類、構造、床面積等の記載とあいまち、その登記の表示全体において、当該建物の同一性を認識できる程度の軽微な相違であるような場合には、建物保護法一条一項にいう登記した建物を有する場合にあたるものと解している。この論法をもつてするならば、建物の登記が借地権者と氏を同じくする同居の家族の名義でなされているような場合には、いつそう建物保護法一条一項の対抗力が認められてよいはずである。建物所在の地番の表示が相違している場合に建物保護法一条一項の対抗力を否定するのはまだしも、これをさえも肯定しながら、登記名義に右の程度の相違がある場合にその対抗力を否定することは、理論の一貫性を欠くものというほかない。

裁判官下田武三は、裁判官大隅健一郎の反対意見に同調する。

(裁判長裁判官 大隅健一郎 裁判官 岩田 誠 裁判官 藤林益三 裁判官 下田武三 裁判官 岸 盛一)

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